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「わが人生 わが経営」 北辰フーズ 取締役相談役 山口靖孝さん

2017.11.15(水)

「60歳を過ぎてからの新たな挑戦。不安はありましたが、経営というものを突き詰めたいとの思いが駆り立てました。第二の人生、竹が節から成長するように充実した日々を過ごしています」

山口さんは北九州市の出身。公務員だった父の関係で福岡県を転勤してまわり、大学卒業まで県内で過ごしました。就職に当たり、地元を離れて自立したいと考え、1965年、札幌に本店を置く雪印乳業に入社します。しかし、思惑は外れ、会社の親心で九州事業所に配属されます。

同社では人事、財務畑を中心に歩みます。30代を過ごした人事部訓練課では中堅クラスのマネージャー研修などを手掛け「ここでの経験が後の会社人生に生きた」と振り返ります。キャリアを積み重ね、95年には役員に就きます。順風満帆とも言える会社生活に転機が訪れたのは2000年のこと。耳目を集めた集団食中毒問題が発生し、経営陣の一人として身を引きます。

転籍した関連会社も整理となり引退を考えていた時、北辰フーズから白羽の矢が立てられます。同社は、再編や譲渡が繰り返されていた雪印の旧子会社を引き取る形で発足しようとしていました。役員まで務めた山口さんの手腕に期待が掛かったのです。

当時62歳。「半煮えの状態というのか、自分を試してみたい気持ちがあった。雪印の一連の出来事では子会社に大変な苦労を掛けていたし、報いたかった」と04年の同社設立に協力します。代表権のない取締役会長という立場をあえて選び、まだ20代だった宮谷将徳社長を支えます。

同社の主力商品は、雪印時代から生産を続けてきた夕張メロンゼリー「シャーベリアス」シリーズ。今から約30年前、夕張市農協から規格外で廃棄していたメロンの活用を打診されて商品化したもので、夕張メロンゼリーの元祖です。

この夕張メロンの出荷時期は夏場に限られるため、果物の旬を捉えたゼリーを展開。福岡のあまおうイチゴ、沖縄のパイナップル、山梨の白桃とバラエティー化を図ります。また、夕張市の財政破綻を受けて第三セクターが行っていたゼリー製造事業を吸収。農産物卸にも進出するなどし、創業から13年間で売上は約8倍、従業員数も約2倍となりました。13年には食品分野への進出を図っているロート製薬の子会社となり、新たなステージに入っています。

山口さんは、こうした会社の成長には3つの大切な要素があると言います。「1つ目はきちんとした目標を持つこと。2つ目は外部環境への適応。外部環境とあまりにかけ離れたことをやっていては失敗してしまう。そして、3つ目は内部体制の維持。どうやって従業員のモラルを高め、やる気を起こさせるか」とし、この3点の推進を常に心掛けてきました。

スピードも重視します。「細かい分析も必要だが、それでは遅い。60%ほどの情報でジャッジする時もある」と言います。

また、企業活動にとって重要な金融機関との関係を密にするため、取引している地元金融機関の支店長に毎月、経営状況を説明しています。「会社にはどうしても好不調の波がある。そうした時に素直に話し、信用を維持するかが大切」と語り、そのためには「きちんと説明できるよう日々の仕事を一生懸命やらなければならない。毎月が勝負。そのプレッシャーを自身に課している」

同友会には会社設立と同じ年の04年に入会しました。「いろいろな人と付き合い幅が広がった。13年も単身赴任を続けられたのは同友会のおかげ」と振り返ります。

大企業の役員経験もある中で、同友会で経営者としての姿勢や覚悟を肌で学びました。大企業では社長であっても歯車の一つということが大半。一方、中小企業のトップはほとんどがオーナー。「オーナーには全人格とリスクテイキングが求められる。生半可な姿勢では会社はつぶれてしまう」

同社では新たな未利用資源の活用に向け、挑戦を続けています。その一つがカボチャの種。ヨーロッパではハロウィンの飾りに使われるペポカボチャの種から絞ったオイルのアンチエイジング効果などが知られています。しかし、このカボチャの実は食べるのには不向き。そこで、一般的に食されている西洋カボチャの種を使えないか試行錯誤を重ねています。

山口さんは「ある程度リスクを取りながら、誰もやっていないことに挑戦したい」と走り続けています。


プロフィール

やまぐち・やすたか 1942年1月17日生まれ。福岡県出身。九州大学卒。雪印乳業を経て、2004年に北辰フーズ入り。13年から現職。

㈱北辰フーズ=本社・江別市。2004年設立。夕張メロンゼリーの製造・販売、農産物卸など。資本金1億2000万円。従業員78人。


 

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